言葉か版面か。

2004年8月31日 日常
わたしの敬愛する小説家・京極夏彦氏の書く小説には、「ページをまたぐ文章」というものがない。んでもって氏の小説は文庫になったりハードカバーになったり、そのたびに版面をかえるという。二段組から一段組みになったらそこでもページをまたぐ文章がないように「お手入れ」するのだ。氏はデザイナーもやってるからそこらへんのこだわりはブラボーと思っている。読みやすいし。

んが。

どうもこの職人魂を理解できない人間もいるらしい。
「ミステリは言葉ありきだ。物語は面白いが、版面を気にして何になるのだろうか。京極氏は版面のためにあっさりと言葉を変えてしまう。言葉より版面のほうが大事という姿勢が残念だ」
こんな妄言を抜かす輩がいると知って私はムッとした。

甘い。貴様の考えは甘すぎやしないか。
京極氏はそんなヌケたお方ではなーい(と思う)!

大事なのは言葉じゃない。まず内容じゃないかと思う。
確かに小説に版面なぞどうでもいい。だが、読みやすさにこだわった誠意を大いに買っている。しかしそれと小説の内容云々をごっちゃにしてはいかんとおもうのだ。――言葉が一番に大事なら詩なんか最強のミステリだ。乱歩なぞ足元に及ばない(極論やなぁ)。――言葉が変わって内容そのものが変わったら一大事だが、伝えたい情報や情景がほぼ同じ(ほぼ、というのはりんごひとつとってもその印象は各人で微妙に違ってくるからである)なら言葉が少しぐらい変わってもよいではないか。

ふんとにもう。

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